万博ジュニアサッカースクール

北に陽を目指して「R」

2021年11月10日

背番号13 昭和52年春 近畿大会

朝食を食べて学校へ行き、2時間目の授業が終わると10分間の休憩時間に早々と弁当を食べる。4時間目の授業の終わりが3秒でも遅れると 「先生、早よ終わってー。食堂混むやんか。カレーパン無くなるやろ」とクラスのワル連中が一斉に騒ぎだす昼休みに、食堂でパンか麺類を食べる。 時には練習開始前にもパンを食べて、練習後は「ほくよう」という犬を飼っていた島田のおばちゃんのお店で、選手みんなで集まってワイワイ言いながら、「そば」か「うどん」を食べて帰る。そして家に帰ってからの晩ごはん。本当に高校時代はよく食べていました。いくら成長期で、代謝が活発な時期とはいえ、やはりそれだけ身体を動かしていたということです。「腹が減っては走れない」ではありませんが、食費だけでも家計に対して結構な負担をかけていました。「優勝してこい」と送りだしてくれた両親に感謝しなければなりません。

 

「芝生はええなあ。ボールが真っ直ぐ転がってくるし、蹴りやすいわ」「 おもいっきりスライディングできるぞ」 迎えた近畿大会、決勝戦の会場は、神戸岬競技場。筆者たちは、芝生のグラウンドで試合ができることが楽しみでした。

1回戦で神戸の御影工業、その後、京都商業などの強豪チームを破り決勝進出。決勝戦の相手は、関西でも有数の進学校でもある神戸高校との対戦。

「相手の高校は、頭のええ学校や。勉強やったらお前ら全然相手にならん。しかし、これは勉強の大会とちゃう。サッカーの大会や。決勝まできたら、頭がええとか悪いは関係ない。気持ちの勝負や。 自信持っていけ」 早い話、勉強ができない者の意地を出せということです。結果は3-0の完勝。「よっしゃあ。優勝やあー」 新人戦で3位だったチームが、初めて優勝できた大会が近畿大会でした。

 

「お前は何回言うたらわかるんや。お前はもういらん。走っとけ」 優勝は、日々の苦しかった練習のことなどスッキリ忘れてしまうほど価値あるものでした。この大会で優勝した表彰状は、今でも学校に飾られています。大会を振り返って見ると新人戦3位で終わった翌日から、近畿大会の日程に合わせて、チームを徹底的に追い込んで、大会直前に疲労を取ってから現地入り。大会期間中は、緊張と緩和を作り出し、チームのムードを盛り上げ、勝負どころを見極めた野々村監督の采配と手腕が近畿大会優勝をもたらしました。

 

そして、選手がいつまでも優勝気分に浮かれていると、野々村監督の爆弾が炸裂。まして、選手に気の弛みや驕り、気配りなどが少しでも感じられない時は、グラウンドでは大変な事になっていました。4月。筆者たちは3年生に進級。いよいよ高校生活の最後を賭けた戦いが始まりました。2007年2月作成。(背番号14につづく)