万博ジュニアサッカースクール

北に陽を目指して「R」

2021年11月10日

背番号15 昭和52年 ラストとGK練習

 

「よしっ。 ラスト行こう」ようやく野々村監督から声がかかりますが、当時、北陽の練習で「ラスト」は、 政治家の約束と芸能人の引退くらい信用できないものでした。また、この「ラスト」こそが細心の注意と警戒と集中が必要でした。最悪の場合は、せっかく積み上げてきたものが、足元から崩れ「あかん。最初からやり直しや」と振り出しに戻る危険性も秘めていました。

筆者たちも「ラスト」という言葉を聞いてから、何回走ったり、何度やり直したことか分かりません。「ラスト」は最後の回数を示すものではありません。「監督の納得いく終わりが来るまでがラスト」ということを予め理解していないと体力的かつ精神的ダメージを大きく被ることになります。

このラストを顕著に表していたのが、キーパー練習でした。ここで昭和のキーパー練習を振り返ってみましょう。

 

試合中、GKの明らかなミスで失点してしまうと、「キーパーは何をしとるんや。終わってから練習やの」とベンチから野々村監督の声が飛びます。キーパーはその声を聞きながら、「うわぁ。まだ、試合中や。集中せなあかん」 と思いながらも、試合後の自分の悲惨な姿を頭の片隅できっと想像していたと思います。

 

とりわけ強烈だったのは、至近距離からシュートを打ってキーパーが、少しでも顔を背けたりすると「キーパーがボールを怖がってどうするんや。座れ。手は後ろで組んどけ」 そこへ更に強烈なシュートが飛んできて「キーパーやろ。何とかして止めんかい。入ったら1点やないか」 人間ですから、最初はどうしても本能的に顔を背けてしまうのですが、何回も何回もボールがキーパーを直撃すると、キーパーの頭の中でスイッチが切り替わって、 「よっしゃあ。来い」と吹っ切れて、手を後ろで組んだまま、鼻血を流しながらでも頭や顔面、胸、腹などでボールを止めるようになります。そして、「よしっ。ラストや。連続10本キャッチ行こう」となるのですが、ここからが練習の本番でした。

 

最初は5本、6本と連続でキャッチしても、次のシユートは必ずキーパーの届かないところ蹴り込まれ、また1本目からやり直し。それを延々と繰り返し、ようやく連続で8本、9本とキャッチしても、10本目のシュートは必ずキーパーの届かないところへ蹴り込まれて、また1本目からやり直し。キーパーが倒れていても、泣き崩れていても容赦のないシュートが飛んでいきました。そして、頭の先から靴の先まで泥人形になって、意識朦朧とした中から「よし。こーい」とキーパーが最後の意地と根性とがんばりを見せたところでようやく終了。

夏合宿のキーパー練習では、1週間に2回救急車が来たこともありました。救急隊員は、全身泥だらけになって脱水症状で倒れて動かないキーパーを搬送しながら、不思議そうにマネージャーに訪ねていました。「おたくのところは、一体、何の練習をしてるんですか」 マネージャーは、「はい。 サッカーの練習なんですけど」と答えていた恐ろしい昭和の時代です。2007年3月作成。(背番号16につづく)