万博ジュニアサッカースクール

北に陽を目指して「R」

2021年11月10日

背番号11 昭和51年 冬 ブラジル体操の真実

昭和50年頃、当時の日本サッカーリーグで急速に力をつけてきた永大産業というチームに進んだN田さんが、オフシーズンにアントニオというブラジル出身の現役選手としばらくの間、一緒に練習に参加していた時期がありました。その時にアントニオが行ったウォーミングアップの中にブラジル体操がありました。

ランニングとともに、ブラジル体操で身体を温めていくというのが通常のパターンなのですが、筆者たちが新チームとなった2年生の冬には、どこでどう変わったのか冬空の下、上半身裸でブラジル体操が行われていました。「寒かったら大きい声を出せ。歌や。校歌いけ」 と野々村監督からの指示で、北陽の校歌を歌いながらのブラジル体操。「よし。次は細川たかしの『心のこり』でいこう」 「それが終わったら『巨人の星』や」まさか地球の裏側のブラジルの人たちも、演歌を歌いながらブラジル体操をしているとは夢にも思っていなかったことでしょう。グラウンドには 『私ばかよね~おばかさんよね~あきらめが、あきらめが悪いのよ。あなたひとりに~」という歌声とともに、隊列を組んでスキップしながら、上半身裸で真冬のくそ寒いなか、ブラジル体操を続ける選手たちの姿がありました。

 

「無理な体勢になったら足が出ない。競り合いに弱い。走り出しの最初一歩が遅い。筋力が弱い証拠や」 ブラジル体操が終わると筋トレの開始です。新チームが迎えた初めての冬、最初の課題は個々の筋力アップ。冬休みに入って始まった筋トレは、100mハードル。メデシンボールを使った瞬発力を高めるトレーニング。鉄アレイでの上半身の強化。低くセットしたハードルを両足飛び。 腹筋、背筋、腕立てはあたりまえ。そして古タイヤを引っ張っての50mダッシュ。が1セット。これを5セット繰り返す。

最初は筋肉痛などもありましたが、回数と日数を重ねて、身体もようやく慣れてくると、野々村監督から「今日からハードルはメデシンボール持って飛べ。1個やったらバランス悪いから2個や」と心身ともに負荷のかかる声が飛びます。当時のメデシンボールは、バスケットボールをふたまわり位大きくした4キロの皮革製。これを片方の手に1個ずつ抱えて、一番高くセットした100mハードルを約20台連続で飛んでいく。重さに負けて昔の鉄製の頑丈なハードルに足をひっかけて、派手に転倒する選手たちの姿は結構悲惨でした。

 

そして筋トレが終わるとボールを使った練習を開始。12月、冬休みの練習時間はたっぷりありました。勝つためには、他のどの高校にも勝る練習量が必要でした。選手の自信は練習量に比例します。タフな精神力と強靭な体力は、苦しさに耐えねば身につきません。

年が明けたら新チームで初めて戦う公式戦。新人戦がすぐスタートします。しかし、サッカーは不思議なもので「 絶対勝てる」 という保証はどこにもありません。2007年1月作成。(背番号12につづく)