2021年11月10日
背番号21 選手権 準決勝 国立競技場
ベスト4進出を懸けての戦いは、浦和南 (3-0) 西目農業 、四日市中央工業 (3-0) 島原商業、 帝京 (0-0) 水島工業 、帝京PK勝ち、そして北陽 (1-0) 習志野という結果で、 昭和53年1月6日付の 毎日新聞には「北陽は持ち前のパワーで押しまくって習志野に1-0。帝京は圧倒的に攻め込みながら得点 できず、PK戦で準決勝にコマを進めた」と掲載されています。その結果、準決勝の第1試合は四日市中央工業と浦和南、第2試合が北陽と帝京との対戦に決定。帝京は9月にニューヨークコスモスが来日した際に、大阪球場で大阪選抜を一蹴した強豪で、この大会でも優勝候補の筆頭でした。
同年1月8日付の毎日新聞には「52年度全国高校サッカー選手権大会第6日は、7日東京・国立競技場に 約2万5千人の観衆を集め、 準決勝2試合を行った。 四日市中央工業は前後半に1点ずつをあげ浦和南を1点に抑え、 浦和南の史上初の三連覇の夢を砕いた。 四日市中央工業の 決勝進出は初めて。帝京は、前半幸運なPKを得て先行、後半にも早稲田が追加点をあげ、2-0で北陽をくだし2回目の決勝進出、2回目の 優勝をねらう。帝京が今大会初めてリズムに乗った攻撃を取り戻した。 前半20分右からのセンタリングが北陽のハンドをさそい、金子がPK を決めて先制した。一方、北陽も互角に攻め込んだ。特に帝京の中盤の 動きが止まった後半は、山口 山本がよくゲームを組み立てオープンに ボールを回したが、帝京ゴール前にがんばる巨漢スイーパー 金子には じき返されて無得点。 後半33分、 帝京は左サイドを深くえぐって折り 返し、早稲田がタイミングよく飛び込んで追加点をあげ、 ねばる北陽を 突き放した」 と掲載されています。当時の帝京には淙々たるメンバーが名を連ねており、決勝戦では四日市 中央工業を圧倒し優勝。帝京に敗れた筆者たちは、3位銅メダルという結果で大会を終えました。
この選手権大会を通じて、北陽の選手たちは本当によく戦ったと筆者は思っています。そして、この帝京戦の先発メンバーの中で3年生は5人だけでしたから、「来年は絶対に優勝してくれるはずや」と後輩たちの素晴らしい活躍と結果を信じていました。この最後の目標としていた大会が終わり、筆者たち3年生にも引退の時期が訪れました。またそれに伴って、この拙書「北に陽を目指して」もようやくタイムアップに差しかかってきました。しかし、まだまだ紹介したいエピソードや様々な体験談が、北陽にはまだまだたくさんあります。2007年7月作成。
※筆者追記・この選手権が終了し、筆者たちの一学年後輩は、インターハイで見事初優勝を飾った。高校を卒業し就職していた筆者は、このインターハイの決勝戦を見るために職場を抜け出して、食堂でテレビを見ていた記憶があります。(背番号22につづく)