2021年11月10日
背番号12 昭和52年 正月 迎えた新人戦
「正月から制服着てどこ行くんやろ」 と筆者たちは周りの人々から不思議な目で見られていたのかも知れません。正月、恒例の「初蹴り」では、北陽が昭和48年度の全国高校サッカー手権大会で初優勝したチームがOBチームとして勢揃いし、筆者たち現役チームとの練習試合が行われました。結果は2対2の引き分け。優勝したチームの先輩方は、当時、大学や社会人チームで活躍していた現役バリバリの選手集団です。新年早々の試合は、価値ある引き分けでした。
迎えた新人戦は、随所に北陽らしさを見せて勝ち進み、準決勝まで進出。しかし、準決勝は、まさかの敗退で3位決定戦へ。サッカーは不思議なもので、一度リズムが狂ってしまうと結果が悪くなりプレーがかみ合わず、負の連鎖と悪循環。修正するには、刺激と時間と練習が必要です。3位決定戦もショックを引きずって、お粗末な試合内容で引き分けてPK戦。この年の近畿大会は、新人戦の3位までのチームに出場資格があり、PK戦でも絶対に負けることはできません。
筆者たちの時代を引っ張ったキャプテンは、西田裕之。(現奈良産業大学サッカー部監督・元ユニバーシアード日本代表優勝監督)キャプテンを努めるだけあって、プレーは当然のこと、人間的にも素晴らしい人物ですが、「ここぞ」というPKだけは度々外していました。
PK戦、最初のキッカーは、西田キャプテン。助走で踏み込んだ左足が滑って、ボールはゴールの右に。筆者たちはセンターサークルで唖然としていましたが、その後PK戦は、なんとか勝利。新人戦3位として近畿大会への出場権をかろうじて獲得。「恥ずかしい試合や」と三国ヶ丘高校のグラウンドでしたが、PK戦後に行われた決勝戦を横目に見ながら、筆者たちはダッシュ30本を走っていました。
後日、野々村監督からは「お前ら何をシュンとなってるんや。3位でも近畿大会で優勝する資格は あるんや。このチームが優勝するためには、しんどい時に歯を食いしばって、がんばれる奴が必要や。このチームには、そんな奴がおらん。今までの練習がまだまだ甘かったと自分でも反省している。これから気合入れて、練習方法をもっと改めていく」との話があり、筆者たちは内心「ぞっー」としながら話を聞いていましたが、確かに3位だからといって、下を向く必要はありません。今度こそ優勝しなければ、何のために毎日練習してきたのか。
そして両親、父母の会のみなさん、 島田のおばちゃん、試合に出たくても出れない選手、先輩OB、学校の先生、チームを支えてくれる全ての人たちに申し訳が立ちません。選手は毎日サッカーができることを当たり前のように考えがちですが、それは大きな間違いです。選手を支えてくれる人たちの力が集まってサッカーができるのです。そしてチームが成り立っているのです。筆者たちは、そろそろ義務を果たし、期待に応えねばなりません。3月、神戸で開催された近畿大会は解き放たれた北陽の力が爆発しました。2007年1月作成。(背番号13につづく)