万博ジュニアサッカースクール

北に陽を目指して「R」

2021年11月10日

背番号5 昭和50年 春新1年生

鬼武健二氏(現Jリーグ チェアマン・元ヤンマーディーゼル監督・元セレッソ大阪社長)、上田亮三郎氏 (大阪商業大学サッカー部監督)、加茂 周氏(元日産・元日本代表監督)、そして野々村征武氏 (北陽高校元監督)を、筆者は秘かに「関西サッカー界の四大ドン」と呼んでいます。

 

野々村監督は、定年で教師を勇退されましたが、現在も引き続き GF(グランドファーザー)として同高サッカー部の指導をされています。その卓越した指導力は、ご自身の信念と豊富な経験に基づいた「高校サッカーの王道」を行くものです。教育と環境は人を変えます。

高校生にサッカーというスポーツを通じて、礼儀・態度・規律・知性・体力・配慮・友愛・協調性・応用力・迅速性・勝負根性など社会人として長く生きていくために、必要とされる総合的な人間教育を厳しく指導されています。※筆者追記・2006年当時として紹介しています。

 

さて、時計の針を戻して、昭和の高校時代を振り返って見たいと思います。(※筆者注ここからは、昭和の実話ですが、現在の北陽高校サッカー部の話ではありません) 入部した新1年生は、挨拶の練習から始まります。

監督、先生、OB、先輩などに会うといつでも、手荷物やショルダーバッグを素早く下ろし、直立不動で「こんにちわー」 また、別れる時も同じ動作で「失礼しまーす」と叫んでお辞儀をしていました。

学校内はもちろんのこと、阪急の梅田駅や淡路の商店街、(当時、北陽高校の校舎は阪急淡路駅が最寄駅) 満員電車を含めた全ての場所で、大きな声で挨拶をしなければなりません。

大きな声というのは、周りの一般の人々が「何事や」と飛び上がって驚く位の声の大きさを言います。恥ずかしいなどと言っている場合ではありません。1年生の頃は必死でした。周りの迷惑も省みず、阪急沿線のあちこちで吠えまくっていた時代でした。

 

また、当時の校舎は阪急淡路駅の近くに位置し、(現在はマンション)グラウンドは上新庄と離れていましたので、授業が終わると学校からグラウンドまで、カバンと練習着などを持って走って行く毎日でした。

校舎を出て北へ走り、新幹線の高架下を東へ走り、イズミヤの前を通ってグラウンドまで走る。この間10分~15分程度でしたが、1年生の間は、サッカー部と野球部がお互いに「グラウンドまで走り負けるな」でしたから、制服でのレースが晴れの日も雨の日も繰り返されました。

 

グラウンドに入ると手荷物を素早く下ろし、直立不動で「こんにちわー」部室まで一目散に走り抜け、部室の入口で「こんにちわー」 先輩から「1年早く着替えろ」と声がかかります。練習終了後に2年生から「1年の挨拶の声が小さいし、着替えが遅い」とグラウンドで大きな声が出るまで「挨拶の練習」や、部室で「服を早く着替える練習」や、OBが車で来た時に即応できるように「走って門を開ける練習」もありました。

 

1年生の中には、中学時代は大阪選抜だった選手や、個々の中学校では結構上手な選手など含めて50~60名近くが新入部員として入りましたが、3年後、サッカー部として卒業した時は、10名に減っていました。2006年11月作成。

※筆者追記・ご存知のイズミヤは、昭和49年(1974年)5月にオープン。令和3年(2021年)8月29日に閉店。イズミヤも47年間にわたり、北陽サッカーの歩みを見てきた不動の証人です。(背番号6につづく)